グローバルに考える

学校で「英語」が苦手だった世代は、なかなか海外に目を向けることが難しいでしょう。ニュースや新聞で、海外で起きた重大な出来事を知ることは出来ても、それを「実感」として捉える「感覚」に欠けている人も多いものです。

今の私たちの暮らしは、「国内」だけで成立しているような物事があまりにも少ないのです。私たちの暮らしに関わるありとあらゆるものは、どこかで、なにかで、海外と繋がっているのです。それはすべて「ビジネス」で繋がっており、そのビジネスの繋がりが社会を構成しているものなのです。

日頃使っているものがどこの国で作られたものであるのか、日頃食べているものがどこで作られたものなのか、私たちの身のまわりにはあまりにも多くのものがありすぎて、なかなかそのような意識で考えること機会はないのです。ただ、為替が重要なものであるのは輸出入がビジネスのなかでも重要なファクターであるからですし、私たちが日頃買っているものもすべて為替に左右されるといってもいいのです。

これからのビジネスでまず必要なことは「国際感覚」であることはほぼ間違いありません。私たちの目に見えるカタチで国際化を果たしたのは「インターネット」です。先進国ではすっかり「インフラ」と化したこの情報網は、私たちにどこにいてもどんな情報でも得られる「手段」を提供するものでした。そして、それは私たちに日本人だけではなく、全世界でも同様なのです。

世界の共通語は「英語」です。現在では「英語」を話せる人は膨大な数に及び、どのような国の人とも英語を用いて会話をすることができるのです。それは「近代化」の流れで各国が英語に対する重要性を認め、手厚い教育を施してきたからでもあります。

ただ、現在では私たちはすべての人が「英語」を話せるわけではありません。未だに一種の特殊スキルとして認識されています。海外との関わり、が現在では「当たり前」であるのに、それが理解できる人材があまりにも少ないということなのです。私たちは今までは「それでも良い」としてきました。ですが、これから育つ世代は違います。小学校の授業で英語が必修になるほど、ますます未来の社会では世界と関わる必要があるのです。

世界の市場に目を配ること、国境関係なく、さまざまなモノが販売されていくということ、「国内だけ」のビジネスには限界があることなどを、実感としてだれもが理解する日はすぐそこまでやってきています。事実、国内の家電メーカーは海外において軒並み負け続けています。中には撤退を余儀なくされたメーカーもあります。これまで頼ってきた「日本の技術力」というものはすでに海外勢に追いつかれているのです。その中で、安価な労働力と高い技術力を併せ持った海外メーカーに「価格」で負けてしまったのです。

同じモノを「安い値段で」提供されてしまうと、それは太刀打ちできるものではありません。国内でも同様のことが発生すれば、もう国内メーカーがモノを売る市場がなくなってしまうかもしれません。それは実は急に起こったことではなく、徐々に始まっていたはずなのです。それでも私たちは実感として理解できなかったのです。「撤退」したと聞いてはじめて、知ったほどだったのです。大切なのはアンテナを張ること、「気づく」ことだったはずですが、国際感覚の欠如からかなわなかったということなのです。

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