金儲けに限界はない

自分が「生涯どれだけ稼ぐか」を計算してみたことはあるでしょうか。その計算方法はあっているでしょうか。例えば今の月給を、残りの人生分かけたりしていないでしょうか。それは「自分はもうこれ以上稼がない」と決めているようなものです。

誰もが生きるためにお金が必要で、誰もが「もっと上」を狙っています。ですが、それは「誰でも」望んでいることであるため、そう簡単には叶うことではありません。ましてやサラリーマンであればそう簡単に「月給」が上がることはありません。年に一回査定があり、お小遣いほどの「昇給」に一喜一憂するものです。そう書いてしまうと元も子もなく、夢がないように感じてしまいますが、それが「現実」です。ただ、給料が上がらないという事に対しても「理由」が必ずあるものです。その理由を突き詰めていけば、もしかすると「自分の仕事」を見なおしたほうが良いということになるかもしれません。

たしかに、世の中には売り上げに直結しない仕事というものが沢山あります。モノを「売る」ということの最前線から一歩下がったところで、後方支援として機能する仕事の方が相対的には多いのかもしれません。ですが、それでも給与が上がらない「理由」はあります。

まずはどれだけ頑張っていても「全体の売り上げ」が伸びていないのであれば、それはまず給与はあがりません。残念ながら、個人レベルで「目先の仕事を頑張った」ということだけでは、全体に寄与できるほどの売り上げは確保できないのです。その点が「自分の頑張りが評価されていないのではないか」という不満につながる原因です。残念ながら、「評価」が「給与」に反映されるためには、その分全体としての「売り上げ」が上がっていなければいけないのです。それが理解できていれば、「なぜ給与が上がらないのか」ということに対する「答え」が得られることになります。そこに「納得」すれば、自分が何に対してプライオリティを上げて取り組めばいいのかがわかります。

ただ、これらは組織の中に自分がうまく馴染んでいるときのハナシです。仕事をいやいややっていて、与えられたことだけを真面目にこなしているだけでは、なんの「生産性」もないのです。冒頭に書いた「自分の月給を生涯分足す」ということは、「やる気もないし給料が上がる見込みもない。だから一生でこれだけしか儲からない」という「諦め」に近いものなのです。

人の可能性は行動で決まります。そして人の行動は「意思」で変わるものなのです。私たちは「意思」を持つことができる生き物です。自分が気に入らない枠組みを、自分で打ち破ることができる生き物です。「可能性」は与えられるものではなく、自分で作るもののはずなのですが、「雇われる」ということでいつの間にか自分の可能性に枠組みをつけてしまうのでしょう。

「何をしたいか」から「どれだけ稼ぎたいか」というところに視野を変えてみると、自分が「何をしなければいけないのか」という方向で物事を考えることができるようになります。「いくら」欲しいから「なに」をしなければいけないのかということです。給与は「与えられる」ものではありますが、「自分で掴み取る」ものでもあります。自分で自分の限界を決めてしまうことは、少し勿体ないのではないでしょうか。

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